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- 島原城
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2009.03.01 Sunday

島原城。こいつも長崎にあるんだけど、島原と言えば、島原の乱だよね。キリシタンの農民の一揆。徳川幕府によって、キリシタンは弾圧され、さらに、凶作でもさらなる年貢のとりたてが厳しくて、生活が苦しくて、堪忍袋の尾が切れて・・・。 今で言えば、一揆なんて戦争だよね。でも、キリシタンは間違ってなかったはず。

そんな一揆と3万7千人ものキリシタンと農民をひっぱったのが、若干15歳の天草四郎。洗礼名ジェロニモ。神の使いだの、奇跡を起す神の子と言われた、15歳。すべての指揮は、ジェロニモ君がしてたみたい。島原城からちょっと行った、原城に、立てこもったんだけど、12万の幕府軍に、城を完全包囲され、食料も玉も滞り、それでも、最後まで戦い、討ち死に。生き残った人もすべて、処刑されたみたい。
それでも、ジェロニモ君は間違ってなかったと思う。マイノリティ派って、小さくて弱いけど、正しいし、間違ってないと思う。民主主義の、人が多いほうが強いなんて、時として本質が見えなくなるよね。

そんなことを感じた、島原城と、ジェロニモ君、15歳。
- 長崎の平和公園
- 熊本から長崎へ
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2009.02.22 Sunday

1月2日の朝に、熊本から長崎へ、フェリーに乗って向かいました。当然、車も乗せてね。寒かったけど
外に出て、自然を満喫しました。
上の写真は、日の出の写真。太陽の光が伸びてきて、なんだろう、希望の道しるべみたいで、光のあるほうへおいで、と言われてるみたいでした。

2枚目は、空飛ぶくじら・・なイメージ。なんだろう?もちろん、ただの雲だけど、何かに気付き、何かを感じれる人でいたいな。どうでもいい人には、どうでもいいんだけどね。

3枚目は、よってきた鳥。なんて鳥か解らないけど、かっぱえびせん食うじゃんねー。俺の隣の人が、かっぱえびせんあげてんの。すげー勢いでよってきて、そんで、俺のとこにも来るわけよ。そんで、1メートルもない距離で、目が合うじゃんねー。明らかに、くれ、ってゆう目をしてるだってー。目は口ほどに物を言うって言うけど、鳥に言われたくねーー。まっ、くれねーのかよ、みたいにさっていくけどさっ。

最後はフェリーからの長崎の写真。
- 熊本城
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2009.02.18 Wednesday

いやー、久しぶりに更新しちゃおうかなー。
正月休みを使って、熊本、長崎、広島に行ってきました。昨年、年末31日の夜から出発して、1月4日の明け方に帰ってきました。みんな、飛行機で行くもんだみたいな感じだったけど、僕は、車派。総走行距離は、2250km!!いやー、めっちゃ楽しかったー。

写真は熊本城。前々から行きたかったんだけど、遠いからなかなか行けずに、でも行きたいから、来ちゃったみたいな。熊本城は、1607年に完成で、築城の名手、加藤清正が築いた巨大な城で、大天守閣、小天守閣と、五基の五階櫓が存在していた。加藤清正は、名古屋城も造ってた気がする。ま、今で言う大和ハウスみたいなもんだ。熊本城は、史上最強の城と評価されている。だって、五基の櫓は、犬山城や岐阜城クラスの天守が五棟あるということで、一つの城に天守が合計七基もあったんだよ。しかも、城の中心までの複雑さと厳重さは、他に類を見ないらしい。そんで、平成19年は、築城400年で、本丸御殿が、復元されていた。今、名古屋城も、復元が着工されてんじゃなかったかなー。

まっ、とにかく、史上最強の城を見て来ましたー。
次は、滋賀県の彦根城か愛媛県の松山城に行きたいなー。
- Beijing
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2008.03.29 Saturday

久しぶりの更新でーす。ニハオ。と言う事で、Beijing(北京)に行ってきました。久しぶりの海外で、胸を弾ませ、黄砂にも負けず、小汚さにもまけず、チベットの暴動にもお構いなしで、生きて帰ってきました。
北京といえば、ここ、天安門広場!!細かい説明は後にし、真っ先に行ってきました。まっ、団体行動ではありましたが、自由奔放でお構いなし。ガイドの話なんて、一切聞いてません。目に映るものすべてに興味を示し、あっちへふらふら、こっちへふらふら。

そんで、こいつが、天安門のど真ん中にある写真、中国のおとっつぁんコト、毛(もう)ちゃん!!めっちゃハゲてるし、モト冬樹かとおもった。まっ、今の中国(中華人民共和国)を建国した偉大なる人。名前に毛があるんだから、もうちょいましな写真にすればいいのに。
とまぁ、ガイドさんのお供で、カメラマンのハクさんという、推定二十歳前後?の若い女の子が、最高尾でいつもはぐれる人達を気にかけては、待っていてくれてたのです。とーぜん、はぐれる人、僕です。

そんで、お決まりの万里の長城。もともとは、山賊から、村を守るために作ったらしい。ただものすごく壮大なスケール。僕が山賊なら、キッパリあきらめます。マジで。ただ景色は、最高にいいです。
そんで、ハクさんは、日本に大変興味があるらしく、いつも最高尾の僕に、片言の日本語で、話し掛けてくれ、中国語を教えてくれました。もちろん、会話が成り立たないこともありましたが、いっつも、ふらふらとどっかに行ってしまう僕を、温かく見守っていてくれました。はぐれた人を見つけたときの安心する顔を何度も見ました。無事に帰って来れたのは、ハクさんのお陰です。謝謝。まっ、実際には、はぐれた人を探しに行ったら、僕がはぐれまして、つげさんなら、異国でもなんとかなるでしょって、置いてかれそうになりました。はぐれたら、最近騒がれない中国残留孤児で帰ってくるつもりでしたが・・・。
- プロフェッショナル
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2007.12.31 Monday

先日、MIXIで再会していた同じ中学校の友達と、久しぶりに集まった。高校時代からそれぞれの道を歩み、僕は、ぼぼ10年ぶりか、それ以上。みんなすごくいい大人になってた。中学時代は、中学校にサッカー部がなかったから、サッカーチーム作って、大会に出た仲間。確か優勝してたはず。当時から、個性派集団だった気がするし、僕のなかで、みんなには言ってなかったけど、当時中学生の頃から、このチーム最強だと、勝手に思ってた。浦和やかつてのウ゛ェルディだって目じゃないし、レアルやACミランなんかより、年俸なくても最強だね。なんでかっていったら、個性派集団で、ポジションとか性格がすごくマッチしてたし、ひとつだったね。 高校でバラバラになって、一緒に戦った仲間が、今度は相手だったりして、ちょい切なかったけど、いつも自分の中では、あのメンバーでサッカーがしたいと思ってた。
久しぶりにあって、すごく刺激を受けた。なんだろ、たわいもない話してても、感じるものがあるんだよね。もちろん言葉じゃ伝わらないモノ。あっ、この人たち、プロフェッショナルだ。一言だけうかんだ言葉。やってることがすごいとか、地位や職業がすごいとかそんなことじゃなくて、まさにひとりひとりのヒトがプロフェッショナルだと思った。うぅ、うまく言葉で表現できない。でも、そんな人達でも、相変わらず近所で遊んでたりとか、すごくあったかい感じがした。まっ、仕事もとことんやって、遊びもとことんやって、みんないい人生歩んでる感じが伝わってきた。
自分の知らないことを経験して来てて、自分の知らない世界にいて、自分の知らないことをしてるのに、同じ場所にいて、同じ時間を過ごした。
自分を見つめ直すと、あっ、自分も今よりうえにいかなきゃと、自然に思えた。今年最後に、みんなと再会できたことに感謝して、また、みんなで刺激しあいながら、なにかしていきたいと思った。
- 浜松城
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2007.11.18 Sundayあっ、先日、浜松に、うなぎを食べに行ってきました。うなぎのめちゃ柔らかいこと、まじで口の中で溶けます。すげーうまかったです。あれなら、一日、2食は、うなぎ食べれます。

まー、メインは、とーぜん浜松城。家康の出世城。家康が29歳の時に、移り住んだ城。今の俺と同じ年齢で、この城に住みはじめ、45歳までいたらしい。ま、江戸幕府開いたときは、62歳ぐらいだから、還暦も過ぎ、赤いちゃんちゃんこも、どっかいっちゃってる頃だね。 住み始めた、2年後の1572年、家康が、31歳の時の、12月22日、武田信玄と、戦ってるんだよねー。クリスマス前なのに、がんばったよねー。そんで、家康は、武田信玄に大敗し、命からがら逃げ帰ったのが、浜松城。この時、家康は、目立つ鎧を脱ぎ捨て、家臣に化けて、逃げてます。マジでやばかったんでしょう。

家康の生涯での大敗は、この一回かな。だけど、逃げ帰った家康は、悔しくて、一矢報いようと、その夜、逆襲してんだよねー。とんだ、31歳のクリスマス前だね。

上の写真は、若かりし頃の家康の銅像の、後ろ姿。まっ、天下統一を目指した家康の背中。信玄は、逃げる家康のこの背中を見ていたのだろう。岡崎城は、年とった家康像だけど、浜松城の銅像は、若くて、りりしいぞ!!
残念だったのは、塗装工事で、一部、足場が掛かっていたので、見れなかった部分があったんだけど、まぁ、そんなの関係ねぇー。
勝手に、足場登っていき、思う存分、まじかで見てきました。見つかる前に、降りてきましたが。よい子は真似しないように。
そんで、後は、真夜中のお菓子、うなぎパイの工場いって、うなぎパイ買いまくって、浜松ギョーザ食って帰ってきました。グルメに、城に、大満足。
- 建前
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2007.11.03 Saturday

先日行われた建前の様子。よく、仕事は何やってる?聞かれますが、言葉だけじゃうまく伝わらないし、あまり理解されてないのがわかる。野球で言うと、監督。そのままか。職人さんが、選手で、僕が指揮するみたいな。偉そうでしょ?
建前は、家を建て始めること。それ前に、いろんなことあるんだけどね。写真みてもらえば、一番解ると思う。

この日は、大工さん十五人での建前で、異例の多さ!!あっちで呼ばれ、こっちで呼ばれ、上で呼ばれ、下で呼ばれ、施主[お客]さんに呼ばれ、あっちに居ながらこっちに指示し、こっちに居ながらあっちに指示し、上に居ながら下に指示し、下に居ながら上に指示し、施主さんと話ながら職人さんと話し、目の前の問題を解決しながら、先の事考え、先の事考えながら、目の前の事、真剣に考え、とにかく、現場がスムーズに流れるように、段取りし、準備し、職人さんの安全を考えながら、仕事しやすいようにする。材料の置く位置から、レッカー[クレーン]車に、荷揚げしてもらう順序も指示する。だから、大工さんが十五人いれば、十五人が何をしてるか、すべて把握し、次に誰が何をして、その間に、別の人が何をするかまで考え、それでいて、間違ってないか、チェックし、間違いがあれば、すぐに、どうするか、考え指示する。何十年と住む家だからこそ、なにかあると、その記憶が、何十年と続くため、すごく気を遣うし、尚更、いい記憶が、何十年と続くようにしたい。

図面と武器もって、指示してます。
この日は、大工さんのすばらしい協力とみなさんのすばらしい協力のもと、異例の速さで、現場が進んでいき、大工さん達も、今までにないと言ってました。あとから来た上司も気分よさげで、心のなかで、ガッツポーズ!!

一番左端で、武器持って、餅つきみたいなことしてるのが自分。大工さんの真似事。
気を付けてることは、とにかく話すこと。現場にいる職人さん一人一人に話し掛け、世間話しながら、皮肉と文句を言われながらも、笑顔で冗談で返す。少し会話が上達したかなぁーと、思える、今日この頃です。
- 名古屋城
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2007.10.22 Monday

ちょい前に、ふらふらと名古屋城に行ってきました。子供の頃からあわせると、五、六回は行っている城で、一番見慣れてる城。最も有名なのが、金の鯱ホコ。子供の頃、金鯱が、名古屋城の屋根から降ろされたときに、見に行って、写真撮ったのを覚えている。金鯱は、金箔を張り替えというか、表面を剥がして、表面の金箔を新しくする?時に降ろされるんだよねー。

まぁ、言わずと知れた、江戸幕府の徳川家康の城!!今で言う、名駅前のトヨタのミッドランドスクエアー??もともとは、今から393年前の、1614年に完成したんだけど、太平洋戦争で、アメリカ軍の名古屋大空襲で焼失してしまった。今の名古屋城は、昭和34年に外観復元されたもの。たしか、それ以前にも、落雷で火事になってた気がする。二回ぐらい焼失してた気が・・・。金鯱は、徳川家康の権威の象徴。古くは、火除けの呪いだったとか。ちなみに、今の名古屋城は、自分が子供の頃に見たときから、かなりポップな内部に改装されていて、城というより、なんとか横丁みたいなかんじになっていて、悲しかった。自分的には、松本城みたいな、当時のままが好きなんだよねー。でも、行く価値はアリだね。自分が今、建築が好きなのは、小さな頃から、城をよく見に行っていて、当時から、城が好きだったからだと思うんだよね。城みたいに、後世に残る建物を建てたいなー。ちなみに、小さな頃、天皇が住んでる皇居である江戸城と、織田信長の安土城の再建を夢みてました。
- 松本城
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2007.09.28 Friday

友人の結婚式で長野県に行ったときに、寄ってきました。外壁の木の板が黒いことから、別名、烏城(カラス城)とも呼ばれている松本城。一番でっかい建物が天守閣で、江戸よりも前の、桃山時代に建てられた城。ほぼ今の形になったのは、1590年だってー。417年前にできた城。外観からすると、五層だけど、中は六階建て。五層六階の形の現存する天守閣では、日本で最古の物で、国宝。一時期、武田氏が拠点として居たらしく、風林火山で有名な、戦国時代最強と言われた甲斐の虎、武田信玄も居座ったはずだ。大改修が行われてはいるが、武田信玄、上杉謙信、織田信長が生きていた時代の物が、現存しているわけで、その事を思い浮べながら、松本城を観ていると、異様な雰囲気に包まれてく自分が居て、不思議な感じがした。

この写真の左手前にある白い壁の建物が、月見櫓(つきみやぐら)と言って、月を見ながら、宴会するところ。夜空の月を見ながら、また、池の水面に映った月を見ながら、酒を飲んだところらしい。なんとも、風情で、贅沢な遊びだと思う。今の遊びで言ったら・・・合コンの場所?もしかしたら、武田信玄も敵の上杉謙信をよんで合コンに使ってたかも。芸能人で言ったら、布袋と吉川が、松本城で合コン!!そこに、実は、氷室役の織田信長もいたかも。手の早きこと、風のごとくみたいな・・・。ありえないけどね。
そんで、桟橋で石田あゆみさん発見!!松本城で撮影してました。それどころか、天守閣城内の階段で、石田あゆみさんとすれ違うことに。城内の階段は狭く、急なため、上り下りが、人一人がやっと。そのため、途中で立ち止まり、石田あゆみさんに、道を譲ると、石田あゆみさんは、『すいません』と、すれ違いざまに、一言。当たり前だけど、その人柄に、尊敬しました。とても、綺麗なかたでした。余談だけど、今年、京都に行った時は、かのう姉妹に会いました。メンズ連れて、人力車に乗ってました。






